株式会社エコの助

株式会社エコの助

有馬 祐也

人を輝かせる

仕事も人生も、ずっと順風満帆だったわけでもなく、ダメダメだった時期の方が多いと思うような、自分って駄目だなと思ってる人でも、頑張ったら才能とか特別な能力がなくっても、こんな風になれるよっていうことを、僕はこれからも体現していきたい。
そして、どんどん自分よりも若い人だったり、新人の営業マンからだったり、学んだり活かしたり、僕らが応援することで、その人を輝かせられるような会社を作っていきたいです。

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プロフィール

生年月日 1982年6月22日
出身地 愛知県名古屋市
尊敬する人 祖母
休日の過ごし方 競技ドッジボール、旅行
趣味特技 カラオケ、読書(漫画~小説)、フットサル
好きな食べ物 焼肉

ヒストリー

幼少期~学生時代

幼少期の私は自由で、怖いもの知らずでした。3歳の時には自宅から20分歩く大曽根駅まで、3輪車で行き、人の後ろについて行って電車に乗って一人で栄まで行っちゃった程、冒険心がある子供でしたね (笑)また、保育園へ行く道で呼び込みをし、たこ焼きを売ったお礼に店主からご褒美のたこ焼きをもらうなんてこともしていました。その頃から商売っ気のある自由奔放という言葉がぴったりの子供だったと思います。

小学校に入ると、右に習えの感覚やみんな一緒に同じ事をするのが正しいとされる学校生活に違和感を感じ、先生が投げかける質問に対しては、「先生や大人達が何を(どんな答えを)求めて投げかけているのだろう?」とか、「どうしたら(何に)人は喜ぶのだろう?」という視点を持つようになっていました。今思えば、私は感受性が豊かで自由な子供だったと思います。そんな自由を愛する僕が、小学校高学年から中学、高校生になっても唯一ずっと続けていたのがサッカー。ありがたいことにクラブチームやコーチ、監督に恵まれたおかげで、サッカーに夢中になれた青春時代は僕の財産になりました。

社会人時代

小学6年生からプロの選手を目指して青春時代の大半をサッカーに捧げてきた僕は、燃え尽き症候群に。それから、当時流行っていたドラマの影響で美容師に転身。業界で有名な美容院で働き、お客様へのプロ意識を身につけることができました。その後、サッカーのコーチやスナックで働きながら様々なことに挑戦しましたが、熱しやすいけどすぐに飽きて辞めてしまう傾向がありました。20代半ばには、運よくフットサルのプロになったもののワンシーズンでクビになってしまいました。自由奔放な僕の性格は変わらないため、その後友人から紹介された先輩に誘われ、飲食店の店長として働いた経験もあります。呼び込みで人気店にしたお店だったんですが1年半で潰れてしまいました。ちょうど子供が生まれた時には無職になり、家族を養うために派遣社員の仕事をした時に気づいたんです。夢のない人生には耐えられない僕は、何かに夢中になって目標を持って努力することが大切だと。

当時、「頑張った分だけ稼げる」という記事を読んで、成果主義で年功序列や年齢・性別に関係なく働ける営業会社に入社しました。最初の1か月目から優秀な成績を収め、新人の中でも全国で2位になり、スーパールーキーのような扱いを受けたところからスタートしたものの、サボることを覚えてしまったり、自分を犠牲にしてまで僕のことを応援してくれる上司からチャンスをもらったり、精鋭部隊に選抜してもらったり、憧れる営業マンの側で学ばせてもらったりと、様々な経験をさせていただきながらトップセールスマンの階段上っていきました。

創業のきっかけ

支店管理者にならないかと打診があった時に、あくまでもプレーヤーとして、好きな商品を好きな時に好きな人に売ることができる、好きな時間に帰れるし、行った土地で好きなものを食べ、素敵な景色を見られる、そんな働き方が好きだったことに気が付き、自分がやりたいことを実現するために作ったのがこの会社です。しかしながら、やるべき事が多すぎて、逆にいうと一番それができない立場であることを痛感しました。全国規模で支店展開し、現代の野武士軍団と称される某営業会社時代の仲間との再会もあり、同じ想いを持つ仲間が、現地で営業活動をできるために支店作ろうという目標で環境づくりをし、支店を広げていきました。僕は恩返しより恩送りが好きなので、関わり合って縁が出来た人に対して活躍の場を作っていく、これが僕のやりたいことになったんです。

メッセージ

今後の目標

僕は三方良しで世界一の商人になります。僕の中で、世界一の商人は、世界一モノを売ったり、稼いだりする数が多かった人ではなく、結果としてそうなるかもしれないけど、世界一人を活かしたり、人を喜ばせたり、人を助けたりする数が多かった人だったり、もしくは、世界一いろんな人を勝たせた人をそう呼ぶと思うので、そういう世界一の商人になるために世界に出たいと思います。

もっと言えば、日本には良い文化やサービス、食べ物がたくさんあるのに、日本人はそれを過小評価していると感じます。欲を言えば、海外のいい文化や素晴らしい商品を日本に持ってくる人ではなく、逆に、日本にあるサービスや文化、商品、モノを海外へ高値で売って、海外でお金を稼いで、それを日本の子供たちが自由な選択ができるように使えるようになる世界のために残したいと思っています。それが今の僕の夢です。

学生へのメッセージ

こういう背景から創業した会社だから、自由じゃないとできない。だから、僕と一緒に自由に動いてくれる人が欲しいんです。何かを生み出してくれたら、それを広げるのは僕が頑張ってお手伝いをしたいし、一緒にそんな風に飛び回れるような感覚の人も欲しいです。逆に、僕がちょっと苦手な、今あるものも大事に維持をしたり育てたりできるような人も必要です。そのため、社長の代わりをやってくれる人も欲しいし、僕はずっと挑戦者でありたいので、一緒に挑戦する仲間が欲しいです。何なら、僕には考え付かないようなゼロからイチを作れる人も欲しい、その人を輝かせることによって、皆の力を借りて会社を成長させたいです。