有限会社とうかい総合保険

有限会社とうかい総合保険

三宅 隆夫

すべてはお客様の笑顔のため

人を笑顔にするためには、人が思っている以上のことが必要となるので、それを追及していくことが好きだしこの先もずっとやっていきたい。商売とは、すべてにおいて問題を解決していくこと。芽が出なかったらいろんな事をやったらいい。今やっていることの中で芽が出る人は、ほんの一握り。パッションを持って自分の軸さえぶらさずに、すべては、自分が行動することによって人を笑顔にするためにこれからも夢中で走り続けます。

SHARE シェアする

プロフィール

生年月日 1971年
出身地 岡山県倉敷市
出身大学 拓殖大学
趣味 読書、筋トレ
休日の過ごし方 旅行
特技 占い、マラソン

ヒストリー

■幼少~学生時代

今思うと、いっつも何かを作っている子供でした。例えば小学校2年生の時には、拾った端材で小さな小屋を作って犬と遊んだりして、好奇心旺盛な子供でした。高校時代は親の転勤で倉敷市へ。一番印象に残っているのはバンド活動でした。実はバンドメンバーにも内緒にしてエアギターで学園祭に出たことは最高の思い出です。練習が嫌いでしたから、予め音を作っていかにも弾いている感じで~でも結局卒業ライブでばれてしまって夏合宿で猛特訓させられたんですけどね(笑)
大学は、外国語学部に指定校推薦で決まり、晴れて東京暮らし。学生時代に遊びに行った海外で出会ったインディアンよりベルト作りを教わり、実はそれがきっかけでオーダーベルト専門店の事業を立ち上げようと考えることとなりました。

■社会人時代

社会人時代のスタートは複雑で。実は学生時代にオーダーベルト事業に失敗したので色んな仕事をしました。ダンプの運転手の仕事も経験したことがあって。郷に入っては郷に従え、という言葉がぴったりですが、外見もがらりと変えました。そうしたらその影響で、姉の結婚式に自分だけ呼んでもらえなくなり。そこでスイッチが入り、絶対に就職しよう!という気持ちに突然切り替わりました。ただ一つ良かったことは、ダンプの運転手の仕事を始めるにあたってなけなしのお金で運転免許を取得しなくてはならなかったので、自動車免許を一発の試験で取得したこと。それまでの人生の中で唯一の成功体験でしたね。
就活を行った結果、文具メーカーへ入社。面倒を見てくれた恩師の死など紆余曲折もありましたが、転勤も経て広島営業所で20代初の営業所長へ抜擢されたのは当時29歳。仕事が楽しくて仕方がなかったときに妻と結婚しました。

■起業のきっかけ

結婚後、出張も多く月の半分以上家にいない自分と、当時の妻の給与明細を比べたときになんと稼ぎが負けていたことから、このままじゃいけない!と自分を鼓舞し、子供ができたタイミングでもあったので、当時また本気スイッチが入りましたね。
もともと転勤族で、自分の子供には地元を残してあげたいという思いから、また、義理の父から「子供に胸を張れる仕事をした方がいい」と諭され紹介されたのが保険の仕事でした。
保険研修生から仕事を始め、「知らない土地で保険で成功する人はいないよ」という心ない保険会社の社員の言葉にスイッチが入り、全国で10番以内で研修生を卒業、保険代理店として独立、その後最年少の38歳で名古屋の代理店会長の座に登り詰めました。

メッセージ

■今後の目標

これまでは人が困っていることだけをお手伝いするスタイルだったけれど、思い返せば人と人とを繋ぐことを今までやってきました。これからもそのスタイルを続けながら仕事の新しい展開を模索していきたいです。

今後の方向性としては、高い目標をもった営業マンを育てていきたいです。商売はすべてにおいて、問題を解決していくことであり、問題意識を早く見つけてあげるのが良い営業マンのスキルだと考えます。そのコンセプトからできた大人の予備校をプロデュース、現在4期生を育成中です。

■学生へメッセージ

1つの事に固執しないで見聞を拡げて欲しいです。
その中で日々心を震わせた学生生活を送って欲しい。
1つの方法として真剣に遊ぶのもOK!
どんな遊びでも真剣に遊んで、日々心を震わせた学生生活を送って欲しいと思ってます。