
株式会社KURO
鷲見 尚樹
やりたくないことは、やらないって決めてるんです
やりたくないことをやらないと決めているのは、やりたいことに100%の力で全力投球したいから。それは人を助けるときも同じで、困っている人を助けるときは中途半端な手出しをするのではなく、100%の力でとことん助けます。数年前、とある研修に参加したのがきっかけで、僕には『自分の人生を愛し続ける』というテーマが生まれました。自分の人生を愛せていないと、他の誰かを愛すことなんて絶対にできませんから。小さいプライドなんて要らない、大きいプライドだけ持って会社経営しています。SHARE シェアする
ヒストリー
■幼少~学生時代
小学校高学年からバスケしかしていない生活で、高校を出るくらいまで本格的にプロを目指していました。たぶん、今の自分のルーツはそこにあります。中高の運動能力テストで全国ランキング1位を取ったくらい、テレビや音楽も聴かずに、スポーツしかしてこなかった人間です(笑)中学時代は県選抜に選ばれ、高校時代は全国大会に出場。バスケで培った集中力や、認めてもらうために何をするか考え、結果を残すための努力をすることが自然と身についていったんだと思います。
大学は、バスケの誘いを断り、いわゆる学生ライフを味わってみたくて地元の大学の法学部へ。親が弁護士だった経歴もあり法学部を選んだけれど、6ヶ月で退学し、もう一度バスケの世界へ。バスケが国民的スポーツのフィリピンの大学に飛び立ちました。
■社会人時代
でも実は、バスケは長く続けなかったんです。どうせなら、アメリカに行きたいなと思っていた時に出逢ったのが今の営業職でした。その時に、バスケをすべて断念したんです。とても悩んだけれど、バスケほど頑張れるものがないと生きていけないなと思って。それが営業の仕事でした。そして、二十歳でフレッツ光のスタッフをはじめ、毎月100件の成約を獲得し、全国1位の成績。当時の月給は手取りで月50万円程。人生の転機でした。
■起業のきっかけ
きっかけは、色んな所からヘッドハンティングをいただいたこと。ですが、社員にはならずに、仕事をください!と言って独立しました。コミュファ光をメインとして21歳で会社を立ち上げ、半年で社員が45名になりました。昔から人が集まってくるんです。ここは自分の一番の武器なのかなと思います。ただ、当時は自分の特性もわからず何となくやっていたので、周りも数字も見えてなくて、徐々に崩壊していき2年で会社経営が悪化してしまいました。1か月で社員が20名退職した時はとても辛かったです。
それから何やっても上手く行かないという日々を10年ほど過ごしました。そんな時、とある研修をきっかけに気が付いたんです。自分の原点を思い返し、バスケも監督が喜ぶ姿が好きだったこと、ビジネスでも、自分のためではなく誰かを喜ばせるのが楽しかったことに。なんでもっと早く、誰かを喜ばせるためにやってこなかったんだろうって。それからは、自分にできる範囲を把握して、誰かを喜ばせるためにできることは全部やるというスタンスに変わりました。すると、一気に周囲も変わってきて、業績が向上してきました。
メッセージ
■今後の目標
今後は自身の強みを活かした軸を持った規模の拡大をしていきたいと考えていて、
SNSを利用したマーケティングを自動で運用する新規事業で売上と会社規模を拡大していきたいと考えています。
現在大学4年生の方がフルタイムで従事いただいておりますが、とても活躍してくれています。
若い社員が自分の人生を愛せる会社を作っていきます。
■学生へのメッセージ
より多くの選択肢を持ってください。
選択肢が多い事で、人生が豊かになると考えます。僕自身色んな選択をし、苦労してきた20代があるから今があります。また、苦しい思いをすることがあっても、本気で自分が変われば本気で向き合ってくれる人がいます。だから、絶対に匙を投げずに頑張ってほしいです。
僕も今、10年前と同じ通信関連事業をやっていますが、自分自身が変わり、今では組織が全然違います。もがいてもがいて今があるんです。ぜひ、弊社にお越しいただき、誰かを喜ばせることを楽しみ、自分の人生を愛し続けませんか?